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ドキュメント内 インド重工業化の経済的帰結 (ページ 38-52)

64.311,325.70 64.0,1,612.80

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286539

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35.8

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出所;14p、53Table、1

90

三割を負担するにすぎない。国民総生産の五割あまりを農業部門が占めるという事実を念頭におけば、この租税配分が農業部門にかなり有利であることがわかるであろう。しかも年を追うにしたがってますます農業部門に有利になっていく傾向をあらわしている。更にもう一点顕著な特徴を示すのは租税の中心が間接税(およびそれの増大傾向)にあることであり、しかも間接税の占める割合は農業部門(ほぼ六五’七五彩)のほうが非農業部門(ほぼ五○’六五%)よりも一○’二○%多いことである。農業部門に対する租税の圧倒的部分が間接税によってまかなわれているということは、いまだ貨幣経済化されていない農業部門の潜在的経済余剰を生産的に動員しようとする際に、一つのボトル・ネックになりうる。こうしてみると資本主義経済(あるいは原始的蓄積)の進展という観点からみるかぎり、インドの租税構造はそれを積極的に推進する機能をはたしているとは言いがたい。次に第十五表で一人当り所得に対する平均課税率の動向を部門別に染ると、農業部門のほうが四’六%で

第15表農業・非農業部門における平均課税率

(単位:ルピー)

農業部門 非農業部門

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一人当り課税

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出所;14p、56Tab]e、2

第16表中央および州政府の部門別支出逆業そしあ

(単位:千万ルピー)非たり部に

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出所;npll6Table25

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するこの奇妙なまでの無関心は、一つには計画化へのケインズ経済学的思考の浸透(赤字財政論)に、一つには「民主主義」的政治制度I「福祉国家‐|の理念の浸透のもとでのソ連重工業化政策の一面的理解(農村収奪論の欠落)に、そしてなによりも一つには農村社会における前資本主義的諸関係の温存Ⅱカスト関係によって支えられた地主Ⅱ前期的資本層による農村支配(土地改革の不徹底)仁帰因する。プライオⅢテイところで投資の部門別配分に関する優先順位の問題を、経済発展の経路に関する歴史的モデルの選択という発生史的な問題としてとらえ返すと、以上ゑてきたようなインド麺工業化政策の歪承あるいは盲点が低開発経済突破問題に対してもつ歴史的意義には測り知ることのできないほど大きなものがある。なぜなら諸開発理論Ⅱ政策は常に先進諸国の一定の歴史的経験を意識的にせよ無意識的にせよ前提しているからであり、それらが提起する論点は絶えずいかなる形であるいはどのような意味で先進諸国の経済発展の経験を抽象するのかという歴史意識(あるいは歴史無意識)と密接に関連せざるをえないからである。その際低開発諸国が選択すべきモデルとしてクローズ・アップされてくるのは、ヨーロッ,〈先発国型(あるいはイギリス川アメリカ型)と非ヨーロッ。〈後発国型(あるいはロ({J) シァー日本型)である。インド重工業化政策の盲点は実にこの両モデル構築のあいだに横たわる視角のズレⅡ死角に対応する。この視角のズレは、どちらを選択するにせよ、両モデルともに工業化あるいは経済発展の成功の諸条件の象を探究する姿勢に立っていることに由来する(立身出世的歴史観!)。逆に言えば、工業化あるいは経済発展を推進するにあたって支払わざるをえなかった様角な社会的コストの理論化に対する関心の欠如が、低開発経済開発理論Ⅱ政策としての両モデルに対して等しく楽観論的な色彩を与えているのである。現在の低開発諸国における工業化の諸条件を探る上でアリァドネの糸となるものは、そもそも工業化のたゑの社会的『ストを支払うことができるのか、またもし支払いうるものとすればいかなる形で可能なのか、という諸条件を染きわめることである。

93インド重工業化の経済的帰結

この点に対する関心を欠如した工業化モデルが開発政策として低開発諸国の現実に応用される時には、そのモデル のもつ社会的意味は変質せざるをえない。なぜならそうしたモデルが前提している歴史的諸条件は、低開発諸国に おいてはしばしば解決すべき諸困難そのものに他ならないからである。インドが工業化を開始するにあたって範例 として注目をあびたソ連工業化の経験は、重工業化の推進Ⅱ自立的生産基盤の確立としてポジティブな明るい面だ

けが一方的に肥大化されて受容されたのであり(。{・〔3〕、〔、〕)、その循の反面としての亜工業化を可能にならしめると同時に、他方で憾霞誉に重工業化のために支払わざるをえなかった社会的雲という闇の部分lとりわ

け鍵民の収奪とう‐リン主義への転化lをも作り出すことになった社会的分業の展開水準に対する關心は橇と んど皆無であった。資本の創世記においても光は闇の中から生れたのである。しかも工業化を開始するにあたって

ロシアはインドよりもはるかに発展水準は高かったい一人当り所得はインドよりも六○$高く、鉄鋼産出量はイン

ドの五倍であり、全人口に占める通学生従数の割合はインドが一影以下なのに対しロシアでは八$であったと言う (勺.O・三島巴目・房・◎辱の」】ロ〔8〕)。また一九五五年のインドの一人当り食櫛消費量は、一九一一八年ソ連のそれの わずか一一一分の一にすぎない(〔犯〕で.E←)。こうしたごく不完全な初期条件の相違を示す指標を比較しただけです

ら、インドにおいてソ連型重工業化を推進することがいかに不可能に近いかを理解できるであろう。インドでは大

規模な重工業化に十分耐えうるだけの高度な農業生産性水準(農業部門における経済余剰)がないのである。先に ゑたところでは、租税配分の観点からみた場合農業部門は非農業部門に対してはむしろ有利な関係を示していた。

ここからしてしばしば農業部門における潜在余剰を生産的に動員し、工業化を促進するのためにより多額の租税を農業部門に負担させるべきであるという議論がなされる(〔u〕〔、〕)。一見説得的な提案であるように見えるが、

ただアカデミックな解決法としての染受け入れることができる。なぜなら農業部門における潜在余剰の非生産的役

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資および消費の原因は誠地主Ⅱ高利賛の前期的資本による農村支配に帰すべきものであって、農業部門に重課税を

かければ工業化はよりスムーズに展開しうるといった性格のものではないからである。それどころかインド農村は再度白骨に埋まるかも知れぬ。問題はむしろ農村内部において生産的投資をなしうるような制度的諸条件をととのえ、農業の生産性そのものを上昇させるメカニズムを創出することにある。土地改革を中心とした「農業革命」が先行しないかぎり、重課税政策は農村をますます疲弊に追いやるだけで農業生産性は上昇しえないし、ひいては工

業化そのものの刎死になりかねない。こういう状態では、インド重工業化の社会的意味はソ連にその範をとりなが

らも当初からまったく異なったものとならざるをえなかった。かくしてインド重工業化に対する最も呵責ない批判は、まず「正統派経済学」の立脚点からなされたのであった。その批判の論点は多岐にわたるが、主論点の一つは今まで述べてきた投資の規模と配分に関するものであり、基

調は「発展は農業に始まる一という点の確認にあった。この主張の合理的根拠は国際分業(比較優位)Ⅱ自由貿易

論的観点から、あるいは技術選択Ⅱ雇用政策論的観点から、あるいはまた反インフレⅡ財政・金融論・価格政策論的観点から等鐵’一一一一国う霞でもなく資本不足・労働力過剰型低開発風では資本節約「労禦約型発展が鑛適である

という要素墜論を中心にして相互に関連しているl様蕊であるが、発展は鑿より始まる(あるいは工業化砿 農業部門に依存する)という点を主張するかぎりでは、インド重エ業化の盲点を見事についたものであった。しか

し低開発経済の困難はここに尽きるのではない。むしろここから大蛇ハーフナーの如き深淵のロを開くのである。

すなわち低開発経済からの突破を真に困難にしている事態は、急速な工業化が要請される状況の中で農業からの 発展が順調に工業化へと展開しうる客観的可能性が極小であること、およびこの先進国型経済発展の経路に対する 信頼がもはや失われてしまったという点にある。逆に農業からの発展は国際分業(「新植民地主義」)という先進諸

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